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牧場のおっさんのページです。自分の町がすばらしいと思える町でありたい、 そのために考えています。俺から見た多摩丘陵の歴史と自然
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堀之内の保井寺と斉藤一諾斎
堀之内の下寺沢にある保井寺はお寺の相談役から聞いた話では昔の井上家の菩提寺として 始まっているので名前を保井寺としたという。我が家もこの保井寺と同じ部落内にあり半檀家になっている。 野猿街道の芝原というバス停近くの十字路を北側に入っていたところにお寺はある。 この周辺は多摩ニュータウンの19住区の開発事業区域の中で、神社、仏閣は開発から残すため保井寺周辺は緑地として残している。 そして多くの檀家はニュータウンのため家やお墓の移転が行われ檀家の多くの方が保井寺の墓地に移設しています。 どこの家もまだ移転して10年の歳月が流れたくらいです。そんな中に明治初期に活躍した新撰組の同志のお墓があります。 本堂のすぐ裏手のいちばんいい場所にあるのが斉藤一諾斎のお墓です。
斉藤一諾斎は文化10年(1813年)、江戸で幕臣の子として生まれ、 仏門には入り明治元年に甲州郡で住職をしていました。この時に近藤勇に甲陽鎮撫隊の協力を求められすぐ承諾したそうです。 それから「一諾斎」と名のってます。それから新撰組に入り戊辰戦争に参加しました。
その後明治3年に中野村(八王子市東中野)の熊野神社で漢籍、習字を教えるようになり、この辺の多くの子弟に教えています。 明治6年に中野村に生蘭学舎という学校をつくることにもかかわり教員として勤めましたが明治7年に病死し、 一諾斎の子弟らで保井寺に手篤く葬られました。
見所
◎山門の西側に椿があります。 ちょっと変わった椿です。
◎お寺の墓地の上に行ってみよう。京王堀之内駅方面が「一望できます。 多摩ニュータウンらしい風景です。
◎大晦日に行こう。除夜の鐘をつこう。 かならずやれます。甘酒と記念品がでます。
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