歴史講座


縄文時代の陥(おと)し穴と平安時代の住居
★☆縄文時代と平安時代☆★

堀之内寺沢に計画されてる都市計画道を進めていますが、、現在、最後の部分の遺跡調査をやってます。奥に見えるのが堀之内第1トンネルです。東京都多摩都市整備本部が進めてるのですが、 都は遺跡は出ないと予測してましたが(\(^_^)/)、、、ここから平安時代の住居跡と縄文時代のものが最近あることがわかりました。



これが平安時代の住居跡です。手前の石があるところが火を使うかまどで、3m真四角ほどの住居です。、、、この時代の大きさはこの大きさが多いということでした。


 





どうして、、、ここが「かまど」とわかるのでしょうか??、、、それはまず大きな石の表面が赤くこげていることと、、そのまわりの土も赤茶けた色に変わってるのが肉眼でもよくわかります。
この住居は寺沢川の支流の土手の上にあります。



 





すぐ住居跡の横に40cmほどの円形の浅い穴があり、、、そこに小石がたくさんあったそうです。その小石は赤茶けた小石ばかりだったそうです。 考えられることは、、、小石を熱して調理したのではと考えられます。
その浅い穴から1mほど離れたところにちょっと大きめの石がありました。(左の写真)その石の上に普通の石を置いて見ましたが、、、色の違いがわかると思います。






こんな感じで試し掘りをします。深くなればなるほど年代は大昔になるわけです。





左側は通所施設の「かたくりの家」です。


 




縄文時代のもの
右は動物を捕まえるための陥し穴です。なかにいくつかの穴の跡があります。そこに先の鋭い木を刺してたと思われます。真ん中のは、、、水はけをよくしたのでは?? 左は、、、お墓と考えられると聞きました。ベニア板が置いてあるところがそれぞれの位置です。




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