作成日:1999-4-28
「幻の南津電車」
今日は少し息抜きのお話を・・・・・
幻の鑓水停車場・・・・・(昭和54年5月1日)
今の季節、新緑を吹く風に誘われて絹の道を歩いてみるのもよい。
田園風景の中に、その昔鑓水商人と呼ばれた生糸の豪商の名残りが、
現在も土蔵や石垣などに残されている。
明治の初期には、生糸を横浜へ運ぶ多くの人たちが、
この道を往来していたのである。
ところで、道了堂へ向かう途中、三基並ぶ供養塔の裏手をのぞくと、
小さな石の道標が置かれている。その一面には、「此方鑓水停車場」とある。
鉄道もないこの土地に停車場とは、一体どういうことなのだろうか。
古老を訪ねて回ると、幻の停車場の話が浮かび上がってきた。
関東大震災の後、浅草区役所に勤めていた大塚卯十郎という男が
郷里鑓水へもどってきた。豪農の息子だった彼は、府中から鑓水を通り、
津久井までの鉄道を敷こうと考えた。
津久井の炭や生糸を東京へ運ぼうという計画で、将来は富士五湖までもと、
夢を広げていたという。
当時、鉄道敷設の気運は全国的に高まっており、
国の認可が下りたのは昭和に入ってからである。
昭和二年、永泉寺において会社設立総会を開催。
夢の鉄道は南津(なんしん)電車と称され、現在の公会堂付近に
停車場が予定された。昭和三年建設の道標が示す鑓水停車場とは、
完成が待たれたこの駅のことで あるという。
しかし、昭和初期の恐慌は生糸の暴落を招き、株主を農村の人たちに
頼っていた南津電車は、計画中止を余儀なくされた。鑓水停車場も、
もちろん幻と化してしまった。
ニュータウン建設が進む今でも、当時を知る人たちの中には、
日の目を見なかった鉄道のことを思い出す人もいるにちがいない。
「ふるさと八王子」
(昭和55年八王子市発行)より転載
昭和55年に刊行された八王子市発行の本に載っていた話です。
その本のまえがきによりますと、
−−広報に掲載してきた「ふるさと八王子」、「文化財みて歩き」、
「東西南北」から80編をまとめ、一冊の本にしました。この三つの
シリーズは古い歴史をもつ八王子の史跡、文化財、民俗行事、そして
それにまつわるいい伝えなどを紹介してきたものです。−−
となっています。
参考資料(南津鉄道に関する多摩ニュータウンタイムズの記事)
現在は・・・・・(平成11年4月25日)
小雨のパラつく日曜の朝、鑓水停車場の道標を見に行ってきた。
絹の道資料館をすぎて右手に絹の道が分かれるところにこの道標が
今でも鎮座している。70年を経た道標は彫ってある文字が少し見づらく
なっているようで、私には「・・・停車場」の文字しか読めなかった。
おりしも、金曜からの雨で側溝は水があふれ写真を撮る私の足元を
ぬらしていく。その時、絹の道の方から泥だらけの四駆が一台下りてきた。
南津電車は、やはり幻であった。
プランベールの田中純さん記・・pompoko-ml仲間
平成11年4月17日 NPO・FUSION長池設立
会場: 長池小学校 家庭科室
「NPO・FUSION長池」・・・・ついに登場
http://www.pompoco.or.jp/