作成日:1999-4-19
「多摩は神奈川だった」
長池地域にお住まいの皆さんの住所は
東京都八王子市・・・・ですね。
でも、その昔、このあたりは神奈川県に所属していたことがあるのです。
明治維新の後二十数年の間ですが・・・・・では、その間の様子を見てみ
ましょう。
江戸時代、ご存知の通り日本は300余りの藩に分かれていました。
これが明治維新を迎え、廃藩置県でまず、 1871年9月 3府(東京、大阪、京都)
302県(!)に置き換えられました。
もっとも、この時は代官や旗本の旧領のままで、多摩は品川県、韮山県、入間県、
西端県(どこだ??)に属していたとのことです。
そして、 1871年11月 3府(東京、大阪、京都)72県に再編成されたときに、
多摩は新設の神奈川県に属することになったのです。このころの多摩はおおまか
に言って現在の山手線の西側すべてだったようです。当時の神奈川県のイメージは、
ちょうど、今の神奈川県の上に現在の東京都の山手線の西側が乗っかった
ような形になります(頭でっかちの神奈川県?!)。
その後、1872(明治5)年に現在の中野区、杉並区など多摩東部が東京府に
分割移管され、今、私達がイメージする多摩に近いものとなりました。
さらに、1878(明治11)年、郡区町村編制法が布告され、これにより
多摩郡347町村は北多摩、西多摩、南多摩の三郡に分けられ、以来「三多摩」
と呼ばれるようになりました。
このように、三多摩は1871(明治4)年から1893(明治
26)年4月1日に東京府に移管されるまでの間、神奈川
県に所属していたのです。
そして、「三多摩」の名は、今も例えば学童野球の「三多摩リーグ」等に
使われており、なじみの深いものとなっています。 でも、ここにひとつ
疑問があります。北、西、南多摩はありますが、東多摩はどこにいったのでしょう?
実は、明治5(1872)年に東京府に移管された多摩東部が三多摩と同時期に
東多摩と呼ばれるようになったのです。この地域だけが東京府に属していました。
東多摩は後に南豊島郡と合併して豊多摩郡となった(明治29年)ため
東多摩の名前はなくなりました。
<参考文献>
・多摩100年の歩み(多摩百年史研究会編著)
・地図で見る歴史の舞台(帝国書院)
・市民のための八王子の歴史(樋口豊治著)
−−−どうして多摩は神奈川県から東京府へ−−−
三多摩移管の問題は、表面上は水道問題(玉川上水の維持管理をめぐる問題)
でしたが、自由党弾圧の一つの手段として、その最大の地盤であった三多摩を
神奈川県から切り離すための措置でした。
まず、水道問題は明治の初年の頃から東京府が主張していた問題でした。
ところが、明治26年(1893)になって何故この問題がクローズアップ
されてきたのか。ここに政治的な問題が絡んできます。
玉川上水の水源管理だけであれば、玉川上水と関係のない南多摩郡まで
移管する必要はありません。それを南多摩郡まで含んだ三多摩全体の移管が
求められたのは、当時の政治情勢に理由があります。
当時、政府は大軍備拡張計画を立てていましたが、自由党はそれを阻もうと
する存在で、政府にとっては最大の障害でした。移管の前年の
明治25年(1892)に第二回総選挙が行われましたが、政府は反政府党で
あった自由党を潰そうと選挙に干渉しました。多摩は自由民権運動が盛んな
地域で当時、自由党の一大勢力地になっていました。
多摩の自由党はその干渉を跳ね返して二議席を独占し、干渉の直接の責任者で
あった内海忠勝神奈川県知事の追放を求めて立ち上がりました。
追いつめられた内海忠勝神奈川県知事は、自分を追放するのなら、
逆に三多摩自由党のほうを神奈川県から追放してしまおうと考えました。
そして、水道問題に絡んで北多摩郡、西多摩郡の移管を求めていた東京府に
南多摩郡も含む三多摩の移管を提案し、東京府も三多摩の移管を要求するように
なりました。政府もこれを受けて移管法案を準備し、議会に提出しました。
しかし、それは明治26年(1893)2月18日であり、審議期間は会期末の
2月末日までのわずか10日足らずでした。そして、この議会で賛成が上回り
可決され、明治26年(1893)4月1日 三多摩は正式に東京府へ移管され
たのです。その後、自由党はその勢力を弱めていったようです。
三多摩移管問題は東京の府域拡張の歴史の上で一番大きな事件でした。
歴史に「もしも」はありませんが、多摩の自由党がなかったら、
八王子は神奈川県だったかも知れませんね。
ちょっと話が難しくなったきましたが(わたくしにとっても)、これからも
少しずつ息抜きをしながら続けていくつもりです。
今後の予定(?)は、
・ペリー来航と鑓水村
・平安時代の一大手工業地帯
・多摩の鉄道の歴史
・民話の紹介
・実際に見聞したことのレポート
等々を考えています。ただし、筆者の気まぐれにより内容は変わるかも
知れません。その点はご容赦ください。
<参考文献>
・多摩100年の歩み(多摩百年史研究会編著)
・多摩・東京−その百年(鈴木理生著 多摩歴史叢書2)
・市民のための八王子の歴史(樋口豊治著)
多摩の自由民権運動の参考HP(五日市憲法草案)
http://home.interlink.or.jp/~jho-masa/ituka1.htm
プランベールの田中純さん記・・pompoko-ml仲間
平成11年4月17日 NPO・FUSION長池設立
会場: 長池小学校 家庭科室
「NPO・FUSION長池」・・・・ついに登場
http://www.pompoco.or.jp/