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★★★★★★★★多摩の酪農の歴史★★★★★★★★
- 多摩丘陵に乳牛が飼われるようになったのは明治40年代の頃からです。
それ以前までは丘陵のなかにある谷戸田や多摩川の支流に沿った田圃、畑には桑畑があり養蚕が盛んでした。
そんな中で多摩丘陵に住んでいた井草甫三郎という青年がこれからの時代は乳牛を飼育して牛乳の生産をするべきと考え、
先進地である千葉房総からホルスタイン種の乳牛を導入したのが始まりです。
そのころの牛乳は貴重な食品で庶民の手にはなかなか手の届かない高い物だったようです。
明治、大正時代は養蚕の副業として飼われ堆肥の供給にもなっていましたが、
昭和になり養蚕で生産される絹は安い外国製品に追われ、戦後、養蚕農家は少なくなりました。
その頃農業基本法が出来て所得倍増などといわれ副業にしていた酪農の規模拡大がはじまりました。
- しかし、急激な首都圏の都市化が始まり多摩丘陵に大規模開発の多摩ニュータウンができて
酪農家が少なくなってしまいましたが、いま、新しく移り住み始めた人たちは自然や乳牛のいる
環境がいいなと牛舎にやってきます。
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